【第10回】慣れることで得られるアドバンテージについて
お疲れ様です。ざわちんです。
今日は、私がお話ししたいテーマは「慣れていることによって得られるアドバンテージ」です。先日、仕事上のトラブルに関する話を職場でしました。その際に法律の観点からの議論が生まれ、私は判例を調べてみることにしました。
私は現在、こうして葬儀の仕事に従事していますが、大学時代は公務員を目指しており、法学部に所属していました。毎日、法律の判例や議論に触れていましたし、自分で言うのもおかしな話、私は比較的真面目な方の学生でした。
この経験が、後にどれだけ役立つことになるか、当時は想像もしませんでした。
普段法律のことに触れていない人が判例を調べる際、その難解な文章に戸惑います。しかし、私の大学時代に培った法律の知識と経験が、久しぶりに判例を読む私を助けてくれました。理解が早まり、当時の努力が実を結んでいることを実感しました。
さらに、別のトラブルではクラウド上のデータやセキュリティについて調査する機会がありました。そこである大企業が提供した解決策を読みましたが、私自身が調査した結果とは異なる部分がありました。専門家が手がけるコンピューター部門が出した答えよりも、私の方が納得できる結論に達しました。
これらの経験から、慣れていることによって得られるアドバンテージの大切さを感じました。新しい技術や分野に挑戦することで、自分なりの洞察が得られることがあります。例えば、私は機械に強いわけではありませんが、新たな技術に興味を持ち、調査することが好きです。その結果、今回は専門家が提案する解決策とは異なる見解を導きました。
大企業が専門家を擁する部門を持っているにも関わらず、私の方がより適切な解決策を提案できたことは、企業の指示で動く人よりも好奇心を原動力にして解決策を探すことに慣れていることの力を感じる瞬間でした。日々の経験が、私たちに独自の視点と洞察をもたらし、問題解決の助けになるのです。
このような事例を通じて、私たちは慣れていることによって得られるアドバンテージの重要性を学びました。どんな分野でも、経験が私たちの理解を助け、スムーズな問題解決へと繋がるのです。今日は、慣れによるアドバンテージについてお話ししました。お付き合いいただき、ありがとうございました!
※原文をChatGPTにブログ用に書き換えてもらったものになります。原文はstand fmにて配信しています。
【第9回】AIを使う人間と、その人を使う人間
こんにちは、みなさん。ざわちんです。
今日は、AIを活用する人と、その人を使う立場の人に焦点を当ててお話ししたいと思います。
AIへの関心が高まる中、私たちはAIをどのように活用していけるか、そしてAIを使える人々とその上に立つ人との関係について考えてみましょう。
AIという存在は今、世間で注目を集めています。ニュースを見れば、皆さんもAIに対する関心が高まっていることをご存知かと思います。しかし、私が所属する葬儀業界では、ChatGPTなどAIの実際の活用事例についてはあまり耳にしません。実際にChatGPTをどれだけ活用している人がいるのか、業界全体の中でどのくらいの割合を占めているのか、といった疑問が浮かびます。
使う場面や方法がよく分からないと、なかなか手を出すのは難しいものですよね。
私自身はChatGPTを比較的多く使用しています。葬儀に関連する仕事だけでなく、会社内で発生するさまざまな課題に対しても活用しています。また、個別のプロジェクトにおいてもChatGPTのアシストが必要な場面が出てくることがあり、その都度利用することもあります。これは無理やり作り上げた場面です。
私は新しい技術や文化を進んで取り入れていくことが重要だと考えています。以前に触れた複合機の事例もそうですが、現状で使えるツールや手法を使い続けることは確かに効率的であり、迷うことなく作業が進むでしょう。しかし、このまま行動せずにいると、将来的に新しい技術の波に取り残されてしまう可能性があります。その時に備えて、積極的に新しい技術を活用し、経験値を積んでいくことが大切だと思うのです。
ですから、私はChatGPTを積極的に活用する一方で、周囲の人々にも同じような姿勢を持ってほしいと思っています。誰もがChatGPTを使えるようになれると良いのですが、現実的には年齢やバックグラウンドによってそのハードルは異なります。新しい技術を学ぶことは確かに面倒かもしれません。理解に時間がかかることもありますし、そもそも新しいことに挑戦すること自体、抵抗を感じる人も少なくありません。
それならAIを使える人々を身近に置いておき、その人々の活用事例を見ながら学んでいくのはどうでしょうか。新しい技術を導入することへの抵抗感がある人にとっても、実際の活用例を目にすることで、少しずつ興味を持ち始めるかもしれません。私自身、今の社会にはAIを進んで活用しようとする人々、AIの進歩を傍観する人々、そしてAIを否定的に捉える人々の3つのグループが存在すると感じています。
その中でも、AIに一定の理解があるけれども、自分自身では活用することが難しいと感じている人こそ、実際にAIを活用している人を近くに置いておくことが重要です。その人々の活用事例を見ながら、「ここなら私も使えるかもしれない」「こんな風に活用できるのか」という気づきが得られるはずです。そして、こうしたアプローチがグループ全体のAI技術の向上に繋がるのではないかと思います。
誰もがAIを活用する必要はなくても、AIを活用する人々を尊重し、否定しない姿勢は大切だと思うのです。
皆さんは、仕事の中でどのようにChatGPTを活用していますか?私自身は、お客様へのメールの返信文作成や、トラブルの報告書作成、書
類の文書作成など、さまざまな場面でChatGPTを活用しています。また、自分の考えやビジョンの整理にもChatGPTを活用し、おかしな部分や改善点を見つけるための相談にも役立てています。
皆さんも、どのような場面でChatGPTを使っているか、ぜひ教えていただければ嬉しいです。新たな使い方やアイディアが共有できれば、さらに有益な活用方法を見つけることができるかもしれません。
今日は、AIを活用する人々とその使い手、そしてその関係性についてお話ししました。新しい技術を取り入れることの大切さや、周囲の人々の活用事例を通じて学ぶ姿勢、そしてチームとしての協力の重要性について考えてみました。皆さんも、どのようにしてAIを活用していくか、ぜひ一度考えてみてください。
※stand fm の原文をテキスト化してChatGPTにブログ記事に書き直してもらっています。
【第8回】事務所に複合機は必要ですか?
皆さん、お疲れ様です。ざわちんです。本日は、私たちの会社が直面している、少し深刻な課題についてお話ししようと思います。
それは、「事務所に複合機は必要か?」という問題です。
私たちの事務所は現在、移転計画を進めています。その中で、複合機の存在が注目され、一つの疑問が浮かび上がりました。
それは、複合機は本当に必要なのか、そして最新テクノロジーを受け入れることでスペースを有効活用する方法はないのか、ということです。
複合機とは、コピー、ファックス、処理スキャンの全てが可能な便利な機器です。しかし今度の事務所が割と狭いため、複合機を配置することでスペースを圧迫することは避けたいという気持ちもあります。
複合機を持つことの利点と欠点、そして他のオプションについても考えていく必要があります。
私自身、複合機は必要ないと考えています。
しかし、私以外のスタッフは私よりも年齢が高いため、彼らにとっては複合機が当たり前の存在かもしれません。
そこで、複合機の機能や必要性を詳しく検討し、現代のテクノロジーとの対比をしてみることにしました。
私たちが考えるべきは、どの機能が本当に不可欠なのか、そしてその機能を提供するためにどのような方法が最適なのかです。
現在の状況を見極めながら、既存の機能を最大限に活用し、新しいテクノロジーを導入することが、効率的で持続可能な事務所運営の鍵であると考えています。
また、複合機を排除することは、経済的なコストやスペースの問題だけでなく、若い力を取り入れる上でも重要です。現代の若い世代はデジタルツールに慣れ親しんでおり、古い方法に馴染むことが難しい場合もあります。私たちは将来を見据え、若い人材を受け入れるためにも、最新テクノロジーを活用していく必要があるのではないでしょうか。
こうした観点から、私は複合機の必要性を見直すべきだと考えます。例えば、ファックスの代わりにメールやデジタル化を推進することで、効率化とコストカットを実現できるでしょう。また、紙の使用を減らし、デジタルツールを積極的に活用することで、将来のニーズにも対応できる柔軟性を持つ事務所へと進化させていくことができると信じています。
最後に、皆さんにも一つ質問です。もし私たちの事務所で同様の課題が浮上したとしたら、あなたはどのように考えますか?複合機の必要性や最新テクノロジーの導入について、どのような選択をするでしょうか?ぜひ、あなたの意見を聞かせていただきたいと思います。
今回の記事では、私たちの事務所の未来に向けた選択肢として、複合機の必要性とテクノロジーの選択について考えてみました。皆さんの意見もぜひお聞かせいただきたいです。それでは、今日はここでお話しを終えたいと思います。お付き合いいただき、ありがとうございました。
※音声をChat GPTに要約してもらいました。
原文はstand fmにて配信しています。
【葬儀業界で働くうえでの決意表明
お疲れ様です。
今まで掲載したブログは、音声メディアで配信したものを文章化していました。
ただ、今回掲載しているこの記事はブログにしか掲載しません。僕の中の1つの決意表明みたいなものだと 思ってください。
※何か情報を得たいと思ってる方は、時間の無駄になるんで読まないでいいです。
「こいつ何を考えて情報を発信してるんだろ」
「こいつは信用できるのか」
「こいつはどんなやつなんだ」
そう思ってる方はぜひ読んでみてください。
僕は今、葬儀業界に身を置いて約10年働いています。
これだけ時間が経つと、どういう仕事をしていこうかということを考えるようになりました。
僕には子供が2人います。彼らに将来なりたい仕事はと聞いたに、彼らの口から僕と同じ職業の名前が出ることはおそらくないです。そして、 全ての子供たちにどんな仕事になりたい?どんな仕事に就きたい?って聞いた時に、 僕らのように葬儀の業界、お葬式に関する仕事をしたいっていう人はおそらくいないです。
何歳の人に聞いたらこの仕事に就きたいと答えるんだろうと考えると、なかなか難しいです。
じゃあそれはなぜなのか。
マイナーな仕事というだけが理由ではないと思います。
仮に小学校低学年の子供になりたい仕事なんですかって聞いたら、ケーキ屋さんにないたいと答えたとします。
これが中学生になったらどうですか。
いろんな知識をつけてケーキ屋さんになりたかった人はどう考えるでしょうか。もしもケーキ、いわゆるそのお菓子を作るっていうことにベクトルが向いているんであれば、パティシエっていう職業を目指すでしょう。
これが年齢を重ねていって、例えば高校生、専門学生になると、パティシエっていう職業から商品開発の方に行くかもしれない。もしくは町のお菓子屋さんじゃなくて、大手お菓子メーカーの営業になりたいと考えるかもしれない。
この人は「お菓子」というものにまつわる職業を志望しています。
けれど小学生になりたい仕事を聞いても、お葬式の仕事に就きたいと答える子は恐らく一人もいません。
もっというと、社会人になっても「どうしても葬儀業界で働きたいんだ」と考えている人は、全体の1%に満たないんじゃないかと思っています。
正直僕がこの仕事を続けていて、 この仕事が本当に心からやりたいと思って入ってきている人ってほぼ見たことがないんです。
幼い頃からずっと憧れだったんですっていうような人はまず間違いなくいません。
何かきっかけがあってこういう仕事いいなって思ったっていうことは多いんですけれども、憧れて入ってきたっていう人っていないんです。
だから僕は目標として、
この業界を憧れられる仕事、業界にしていかなきゃいけないんじゃないかなって思うんです。
言葉は悪いんですけれど、この業界で働いてる人はどうしても年齢が高い人が多いんです。
そうすると、古い慣習ばかりを重要視して新しいものが生まれない、そんな業界にどうしても傾いていってしまいます。
いつまで経っても同じ形式の葬儀しかやらない、紙とFAXで情報はやり取り、精算は現金でのやり取り。
なんとも時代錯誤だと思ってしまいます。
そんな中で新しいものをやり続けようとする。もちろんそういう会社さんもいます。
けれど1つの会社がそれをやっても、業界自体でどんどん変えていかないと新しいものは 定着しないと思うんですよ。
今は僕はただの一社員、使われる側の人間ですけれど、そんな僕ができることは業界で横のつながりを作ってこの業界を盛り上げて、
この業界に入りたい、あの仕事をしたいって1人でも多くの人に思ってもらって、新しい人が入ってくるような、そういう業界にしていけたらいいんじゃないかなと思ってます。
以上、決意表明でした。
【第6回】葬儀は誰のために
今日お話ししようと思っているのは、少し葬儀に携わる人間としての思いというか、考えというか、そんなところのお話です。
常日頃人の死の近くで仕事をさせてもらっている身として思うことなんですけど、
葬式って誰のためにあるんだろうと。
これを考えるといろんな意見があると思うんです。
大きく二つに分けることができます。
亡くなった方と残された方。
このどちらのためにあるんだろうという問題がよくあります。
例えば、故人は家族だけで送ってほしいって思っていたとします。 けれども、残された家族としては、他の親戚に知らせないわけにはいかない。 あとあと、なんで死させてくれなかったのって言われたら、今後の付き合いに響くとか。 もし会社を経営されている人だと、今後の仕事上のお付き合いに支障が出るかもしれないとか。
そんなことを考えることがあります。
どちらが正しいっていうことはないと思うんです。
じゃあ、そんな時どうしたらいいのっていうのが、葬儀のちょうどいい落とし所を見つけるっていうところなんですね。
よく私のお手伝いをする中でも、こういった事案があります。
故人様は、いわゆる日本古来の宗教色を前面に押し出した葬儀じゃなくて、 無宗教の葬儀で送ってほしい。
けれども残された家族としては、お寺さんのお経のないお葬式っていうのはダメなんじゃないかなと。
こんな風なことが葬儀をこれから打ち合わせしていこうという中で問題になることもあるんです。
これもケースバイケースなんで、一概にどっちがいいっていうこともないです。 お付き合いのあるお寺さん(菩提寺)があったりすると、無宗教の葬儀をするのはダメですよっていう場合も中にはあるので。
ただそういうお寺さんの縛りとかがないような人ならば、無宗教のお葬式っていうのは選択肢としてはあり得ます。
故人様の家族の意見をどちらも汲むならば、例えばお葬式自体は無宗教で行って、 火葬をする時に火葬炉の前にお寺さんに来てもらってお経を少し読んでもらうというのはどうかとお話をすることもあります。
そんなのアリなの?って思う人も中にはいるかもしれませんけど、ダメな理由がないんです。
やっぱりお経があった方がいいっていう思いも叶えつつ、故人様の意思も叶えつつ、 っていう両方を取るんであれば、ひとつの折衷案にはなるんです。
こうやってお葬式っていうのは、残された人、亡くなった人、どっちもの思いを反映させるものであっても、僕はいいと思います。 僕はなるべく、どっちにとっても最良の選択になるように選択肢を上げられるよう努めていこうと心では常に思っています。
何か葬儀に関して、こういうやり方ってあるんですか?とか、こういう考えってありなんですか?とか、気になったらば、私に聞いてもらってもいいですし、近所の葬儀屋さんに相談してみるのもひとつありだと思います。
再度繰り返しますけど、僕の思いとしては、
お葬式は残された人、故人、どちらにとっても最良の形というものを模索するべきだと思います。
今日話したいのはそんなところでした。
お疲れ様でした。
【第5回】Twitterは人数ではなく時間で自己評価していく
【第5回】Twitterは人数ではなく時間で自己評価していく
今日お話しは、TwitterがThreadsと争う形にはならなそうだというところのお話をしようと思っています。
Twitterのイーロン・マスクが、Twitterはこれから登録者数、利用者数という人数の数では 自分たちを評価しないと発表を出してきました。
Threadsがつい2日くらい前に利用者数1億人突破を発表しました。今まで出てきたSNSで最速で1億人突破したらしいんですけれども、それを受けてなのかどうかはちょっとわからないんですが、イーロンが自分たちのメディアであるTwitterの評価をするときに、これまでであれば利用者数を評価基準の一つとしてきました。 つまり利用者数が増えればよっしゃーとなるし、減るとあらーっていう形で評価をしてきたというものです。
今回イーロンが言っているのは、登録者数、利用者数よりも、閲覧時間の方が自分たちを評価するときに正しいんじゃないかという考え方らしいです。
皆さんがTwitterをどう使ってるか、例えば1日のうちにTwitterをパッと開いて一番上に出るツイートだけを見るような人たちも利用者数の1にカウントされるんですね。1日の利用者数というものを出すときに 1日に1秒だけしか開いてないユーザーも1人とカウントされるんですよ。
それよりも実際にTwitterを開いている時間の方がTwitterの評価としては高い指標になるんじゃないかと。
見ている時間が長ければ長いほどTwitterが有効なものだからみんな見るんでしょ。そういう理論だと思うんですよね。
確かにこれはい?一理あるなと思います。今まで登録者数何万人とか1日の利用者数何万人とか数で争ってきたところから、時間で戦うようにしていきます、というのは一つの考え方としてはあるのかなと思いました。
ついでにTwitterに最近実装された機能として背景情報というものが表示されるようになりました。
ちょうど今日の朝のニュースで 鳩山元首相のツイートに対して、背景情報でこの情報のこの部分違いますよという指摘が入って、それに対して鳩山元首相が謝罪をしたというニュースが出たんですけど、Twitterの一つの投稿、ツイートに対してコミュニティノートという機能を使ってこの情報についてのこの部分は誤ってますよ、こういう補足がありますよという情報を紐付けすることができるようになったんですよ。
恐らくこの投稿自体っていうのは多分誰でもできるんじゃないかと思うんですね。
何故この機能が実装されたのかというと、正しい情報が人々に届くようにという目的があるんです。
この鳩山元首相のツイート一つ取ると、そのツイートをそのままの情報として受け取った人が中にはいる。でも実際にこの部分は違いますよっていう背景情報が付いたことで、人々が正しい情報を得られるようになる。
でも背景情報を書いてる人もデマ書いてるんじゃないの? って思う人いますよね。 そもそも背景情報を書く人がデマを書く人だったら それ意味なくない?と。
そういうことなんですよ。結局書く人って一般の人だから、デマ情報に対してさらなるデマを出すこともできてしまうんですよ。
ただこれを防ぐための一つの方法として、その背景情報に対しての評価を他の人たちがする っていうような仕組みにしてるんですよ。
つまりその情報の真偽がわかる人が、この情報は正しいねっていうふうに評価したり、この情報は間違ってるよっていうふうに評価したり。そういうことをその背景情報に対して付けられてるんですよね。
そうすると必然的に多くの人に評価されている情報は正しいとなる。評価が多ければ多いほど、この情報の真偽性、いわゆる本当のことを言ってるのっていう信用に値する情報だと捉えられるっていうところらしいんですよね。
僕もまだ使ったことないんで、ちゃんと把握できてないんですが。そういう機能がついたんですよっていうようなお話でした。
今日はこの辺にしたいと思います。お疲れ様でした。
2023/7/13の収録をテキスト化してます。
【第4回】遺灰から貴金属がとれる??
お疲れ様です。
今日お話ししようと思っているのは、 火葬した後に残っている遺灰から金属が抽出できるって本当?っていう話です。
1年くらい前にネットニュースで少し話題になったんですけれども、人間の火葬した後に残る灰から貴金属が抽出できるって知ってました?
この灰の中には故人様が身につけていたものだったり、 体の中に取り込んでいるものとかが含まれています。
そうするとその灰の中には身につけていた金属や金歯なんかが混じっていることがよくあるんです。そしてこの残った灰から貴金属だけを抽出することができるんです。
その記事で僕が見た記憶では、市で運営している火葬場で引き取った灰の中から金属を抽出して、それを換金したという市区町村がありました。
この換金したお金って誰のものになるの?という問題。 これは火葬場を運営しているところ、つまり市とか町とか村で火葬場を運営している場合は、 その市区町村がそのお金の持ち主になると思います。
なのでいわゆる市の予算の一つに組み込まれるということですよね。そのニュースでは確か京都市を参考にとっていたと思うんですけども、京都市で1年間残った灰を集めて貴金属を抽出して換金したところ、 約1億2000万円くらいになったそうです。 これは結構な金額じゃないですか。 僕はその数字を見てびっくりしました。そんなに残っているものなんだと。
ただ実際この行為って賛否両論があります。 もうパッと思いつくと思いますけど、 遺族の心情を考えると、そんなことしてくれるなという気持ちもあります。 一方でSDGsとか、環境のこととか考えると、 それも一つの取り組みとしてもいいんじゃないのという意見もあります。
賛否両論あることは一旦置いといても、そんなことができるってそもそもみんな知っているのかな、というのがちょっと思ったところだったので、共有しようと思ってお話ししました。
実際、東京の火葬場って以前話したように株式会社で運営している火葬場もあるんですよ。そうするとそこで引き取った遺灰でそんなことをもししていたとしたらば、じゃあその分の換金したお金っていうのも、もしかして売上げになっているのかな、なんて思ったりもします。 これは全然事実関係わかんないんですけどね。
そんなところを今日はお話しさせていただきました。 では今日はここまでです。
お疲れ様でした。
2023/7/11収録のテキスト化です。